新緑が美しい季節になりました。これから梅雨の季節を迎えます。雨の季節ならではの美しさや楽しみも、子ども達と一緒にたくさん見つけていきたいと思います。
さて、先日、元お茶の水女子大学教授の内田伸子先生が書かれた、幼児教育に関する大変興味深い記事を目にしました。それは、家庭での絵本の読み聞かせが、子どもの語彙力に大きな能力差を生み出していくというものでした。内田先生は、文字の読み書きの早期教育よりも、家庭での絵本の読み聞かせの大切さを推奨されています。
絵本には、日常会話では使わない様々な豊かな表現が詰まっています。また、子どもの想像力も大きく膨らんでいきます。しかし、同じ読み聞かせでも、子どもに強制的に読み聞かせることは、逆効果だそうです。親が、子どもと一緒に絵本を楽しみ、子どもと一緒に感動を共有することで、子どもの語彙力が大きく伸びていくのだそうです。
語彙力は、自分の気持ちや物事の状況を上手に説明できたり、その人の人間的な魅力を引き立たせていくものです。子ども達の生きる支えとなっていくものでしょう。
親子が、絵本を読みながら、一緒に喜んだり悲しんだりできる時間は、とても幸せな時間だと思います。子どもは、大好きな家族と幸せな時間をたくさん経験する中で、生きる力が自然と育まれていくのでしょう。忙しい中にも、子どもと過ごす幸せな時間を大切にしていきましょう。
満開の桜の花もすっかり散り、新緑の美しい季節になりました。保育園では、新しい年度がスタートし、一ヶ月が経とうとしています。新入園の子ども達にも、素敵な笑顔が見られるようになりました。
さて、現在、保育園の園庭では、子ども達が、たくさんのダンゴムシを捕まえて遊んでいます。潰れないようにやさしく手で包み込んだり、過ごしやすいように草や葉っぱも一緒に虫かごに入れてあげたりする子ども達の姿は、とても微笑ましいものです。
信州大学の森山徹先生という方が、2011年に『ダンゴムシにも心はあるのか』という本を出版されています。森山先生は、大脳のないダンゴムシにも心があることを世界で初めて科学的に証明した先生として、この本で注目を集めました。森山先生は、危機的状況に置かれたダンゴムシの行動を分析し、機械なら同じことを繰り返すだけのところを、試行錯誤し、それぞれに個性ある行動を現すところに、ダンゴムシの心を認めています。小さなダンゴムシにも、喜んだり悲しんだりする心があるのです。子ども達の優しさも、きっとダンゴムシに届いていることでしょう。
小さな虫の心にも寄り添える、そんな優しさを持てることは、人として本当に素晴らしいことだと思います。忙しさに追われる日々の中にも、子ども達が見せてくれる素敵な姿に感動出来る瞬間を大切にしていきたいですね。
春の暖かい空気の中、いよいよ、新年度がスタートしました。新入園児の皆さんをお迎えし、一つずつ大きくなった在園児の皆さんと一緒に、今年度も、夢がいっぱいにつまった素敵な日々が始まります。
一昨年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行は、今年度も、引き続き予断の許さない状況が続きそうです。制限がある中にも、子ども達の姿が輝く毎日を大切にしていきたいと思います。
嘉川保育園には、阿弥陀如来様がいらっしゃいます。阿弥陀如来様は、どんな命も同じように愛おしく慈しんでくださるみ仏様です。これから嘉川保育園で過ごす子ども達一人ひとりが、阿弥陀如来様に慈しまれる掛け替えのない仏の子です。温かいみ仏様のお心の中で、日々経験していく一つ一つのことが、子ども達にとってかけがえのない成長の糧となっていくことでしょう。楽しいことも、そうでないことも、毎日が、み仏様から恵まれた大切な宝物です。子ども達の笑顔も涙も、宝物のように大切にしていける保育園でありたいと思います。
これからの一年間、保育園と保護者の皆様とが車の両輪のようになって、子ども達の限りない輝きを支え、一緒に心からその輝きを喜んでいくことが出来ればと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
今年度も、残すところ、あと一ヶ月となりました。発表会では、感染症対策にご協力くださり、まことにありがとうございました。感染者数が増加する中での開催となり、ご心配をおかけいたしましたが、子ども達の成長した姿を直接見ていただくことができ、有意義な会となりました。
さて、感染症の流行に加え、戦争の影がちらつくような混沌とした世界情勢になってきました。1400年前に聖徳太子が遺された有名なお言葉に「和をもって貴しとなす」というものがあります。「貴し」というのは、頭が下がる敬うべきものということです。それぞれが他人の気持ちに寄り添い、思い合う平和が保たれる姿は、けっして当たり前にあるものではなく、敬うべき貴いものであることを教えてくださったお言葉です。
子ども達が生きる時代が、穏やかであることを願わずにはおれません。人は、それぞれに異なる心を持っています。自分と異なる心に寄り添うことの大切さを学んでいく場は、子どもの頃の集団生活の中にあります。発表会で輝いた、それぞれの個性を大切に受け止め、仏様のお心の中で、みんながそれぞれを認め合えるような温かい日々を大切にしていきたいと思います。
寒い冬も間もなく終わりを迎えます。コロナ禍の中にあっても、みんな素敵な笑顔で進学・進級が迎えられるよう、保護者の皆様と手を取り合って大切に保育を進めていきたいと思います。引き続き、ご支援・ご協力をお願いいたします。
新しい年が明けて、早くも一ヶ月が過ぎようとしています。新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。十分な感染症対策をとりながらも、温かい保育に気を配っていきたいと思います。引き続き、感染症対策にご協力をお願いいたします。
さて、長引くコロナ禍の中、「孤立感」という言葉をよく聞くようになりました。孤立感を原因とする痛ましい事件も報道されています。人との繋がりが、どれほど大切なことであるのか、改めて教えられている気がします。
仏教の根本的な教えの中に「縁」という物の見方があります。これは、あらゆるものは、無数の繋がりの中で支え合い存在しているという見方です。どんな人、どんな命も、私と関係がないと言えるものは、一つとしてないというのです。どんな人、どんな命も、私のこととして喜び、私のこととして悲しんでいくような心が、本来人が持つべき心であることを、仏教は教えています。
感染症対策をとりながら、発表会の練習が進んでいます。子ども達一人一人が、心を一つにして、みんなで作り上げていく発表会です。コロナ禍の中だからこそ、それぞれが、温かい繋がりを感じる中で、みんなで一緒に輝ける舞台を目指しています。制限のある中ですが、温かい応援をよろしくお願いします。
年末の慌ただしさが、身に染みる季節になりました。今年も終わりを迎えようとしています。一年を大切に振り返りながら、新しい年への思いを膨らませていきたいですね。
さて、先日、高校生の男の子が、夕方、学校の帰り道に嘉川保育園の前を通ると、一人の園児が、元気な声で「おかえり!」と声をかけてくれたそうです。とても幸せな気持ちになれたことを、嬉しそうに話してくれました。
私達は、日々、様々な言葉に囲まれながら過ごしています。次の瞬間に消えていく言葉もありますし、お釈迦様の言葉のように、何千年も消えずに響き続けるものもあります。一言で、その人を幸せにしたり、逆に、深く傷つけたりもします。言葉が持つ力は、私達の想像を超えています。
近頃は、スマホやゲームなどの普及により、子ども達が、素敵な言葉に触れていく機会が少なくなっているのではないでしょうか。愛情深い素敵な言葉に囲まれて育つ子どもは、人を幸せに出来る素敵な言葉を紡げるようになると思います。
今年もコロナ禍の中で迎える年末年始となります。賑やかでなくとも、家族の温かい言葉の中で、ゆっくりとした大切な時間が過ごせるといいですね。
風の冷たさが身に染みるようになりました。寒い冬の季節がやってきます。体調に気をつけながら、寒い冬の季節を楽しみましょう。
さて、先日、ある新聞の投稿欄に山口市の75歳の女性の文章が掲載されていました。それは、数十年前、10歳の娘さんと交わした会話を懐かしむものでした。一部を紹介します。
「雨が上がった。周辺の山々にモヤがかかり、上昇気流となって空へ続く。・・・『お母さん。あれは煙なんよ。』話し始めた。『あのね、山に住む仙人たちが、雨がやんだので一斉にご飯を炊き始めたの。だからね、見て見て、あっちからもこっちからもカマドの煙が出てるの』『空気中の水蒸気が』と言いかけてやめた。娘はお話を作るのが好きだった。時には読んだ本の中の主人公になったりもした。それを聞くのが楽しかった。娘の夢の世界は果てしなく広がる時もあった。なつかしい。」
とても心温まる文章で、何度も読み返してしまいました。子どもが描くキラキラした世界を共有できることは、親の人生にとって掛け替えのない宝物だと思います。キラキラした感性を持つ子どもと過ごせる時間は、過ぎてみますと、案外短いものだと感じます。子育ては苦労も多いですが、歳を重ねたとき、その時間は、きっとキラキラした素敵な宝物になっていくはずです。子どもと過ごす幸せな今の瞬間を、大切にしていきましょう。
残暑が続く日々から一転、急に肌寒さを感じるようになりました。短い秋になりそうですが、秋の季節を様々に感じることのできる活動を大切にしていきたいと思います。
さて、先日、正法寺の境内に植えられているフジバカマの花に、アサギマダラという珍しい蝶々が遊びに来てくれました。保育園の子ども達も、フジバカマの周りをヒラヒラと飛び回るアサギマダラの姿に目を輝かせていました。
アサギマダラは、海を渡る蝶々として有名です。夏は東北地方などで過ごし、秋に九州地方などに南下してきます。中には、沖縄や台湾まで1000キロ以上移動するものも発見されているそうです。10センチに満たない小さな虫が、1000キロもの距離を旅するとは驚きです。命が持つ不思議さに、ただただ感動するばかりです。
本来、命溢れるこの世界は、不思議な感動が溢れている世界でもあります。しかし、日々の忙しさの中、命の輝きに気づかないまま過ごしている私達です。小さな虫にも目を輝かせていける子ども達の心は、とても素敵なものです。
秋の深まりの中、子ども達が持つ素敵な心に共感し、様々な命の息づかいを一緒に喜んでいける大人でありたいものですね。
秋の訪れを間近に感じる季節になりました。今年もコロナ禍のため、通常の大運動会の開催は難しい状況ですが、そんな中でも、運動会に向けて一生懸命練習する子ども達の笑顔が、園庭を彩ってくれています。
さて、先日の9月21日は、今年の中秋の名月にあたる日でした。1年で最もお月様が美しく輝く日です。しかも、今年は8年ぶりに中秋の名月と満月とが重なる特別な年でした。当日は、少し曇り空でしたが、雲の合間にとても美しい満月を見ることができました。
月の明かりというのは、太陽の光とは違い、私達の心にほっとした安らぎを与えてくれるものです。しかし、あんなに美しく輝く月は、自分の力で輝くことができません。太陽の光を受けて、はじめて美しく輝くことができるのです。
これは、私達人間にも言えることのような気がします。人が輝くというのは、その人を輝かせる様々な働きがあってのことでしょう。一人で出来ることは限られています。人も、月と同じように、他からの光を受けて、はじめて生き生きと輝くことができるのだと思います。
昨年に引き続き、今年も、コロナ禍の中での運動会となりますが、周りの方々の光をいっぱいに受けて、キラキラと輝く子ども達の姿に、誰もが感動できる運動会になればと思います。温かい応援をよろしくお願いします。
コロナ禍の緊張が続く中、暑い夏の季節が過ぎようとしています。今年も様々な制限の中で、10月の大運動会へ向けた練習が始まります。過ごしやすくなっていく季節の中、子ども達の成長がいよいよ楽しみです。
さて、先日、日本人の特徴について、とても興味深い記事を見つけました。それは、虫が鳴く声を「虫の声」と聞いているのは、世界の中でも日本人だけだというものです。西欧人やお隣の韓国人や中国人でも、虫の鳴き声は、単なる雑音の一つに過ぎないというのです。これは、虫の鳴き声を機械音や雑音を処理する右脳で聞いているか、人間の話す声の理解など、論理的知的に処理する左脳で聞いているかの違いだそうです。
虫が鳴く声を聞いて、「虫の音」と感じるか「虫の声」と感じるかの違いです。虫の音を聞いている外国人には、虫の思いは聞こえていないでしょう。ただ機械音のような雑音が響いているだけです。しかし、虫の声を聞いている日本人には、虫の思いが聞こえているのです。虫が鳴く声は、虫がお話している声なのです。
虫にも心があることを知っている私達は、とても幸せです。これから秋が深まり、静かな夜に様々な虫の声が聞こえてくるでしょう。子ども達と一緒に、虫の心にも耳を傾け、命を感じていける時間を大切にしていきたいですね。